よこは迷走中

アラフィフなのに末っ子は保育園児。

小さな子供がいるのにお正月をやめたら罪悪感が残る理由。

門松のイラスト

 

お正月に実家に帰省しなきゃならない。

鏡餅やしめ縄を飾らなければならない。

おせち料理を用意して、お雑煮を食べないといけない。

初詣に行かないといけない。

年賀状を書かなければならない。

 

たくさんあるお正月の行事。

 

お正月がワタシにとって必要かどうかはわからない。

本当に必要?

やらないといけないと思いこんでない?

無理にしなくてもいいのではないか!

って断捨離することにした。

 

しめ縄を飾ることと年賀状を送る以外はやめた。

数万円もするおせち買ったつもりで旅行に行った。

 

そして、お正月も

すると心の中にモヤモヤする感情が芽生えた。

そう!罪悪感ってやつです。

 

 

年賀状がやめれない理由

本当は年賀状もやめたかった。

友人になら年賀状やめましたの一言で終わるものの

今まで毎年出していた自分より目上の方々には言えない。

 

もちろん年賀状を楽しみにしてる人もたくさんいると思う。

頻繁に会わない親戚や学生時代からの友人の近況報告の年賀状はいただいて楽しい。

 

ただどうしても仕事が忙しい年末に紙の年賀状を作る労力がかなり大変。

1枚62円のコストもばかにならない。

ここ数年はLINEやメールのあいさつが増え、年賀状も出す人が減ってきてるのが自然の流れだと感じる。

 

もしかしてお互いやめたくても失礼かなって思ってやめられないだけかもしれない。

でも昭和の人間なんで自分からは言えない。

 

今年は届いた方だけ返すことにした。

昨年いただいた人から全員届いた。

結局、いつもの年と変わらなかった。

 

年賀状をやめる勇気がない。

相手がいるからこそやめれない。

 

おせちは家族の需要がないのでやめれた。

 

おせち料理

わが家はみんな好みではない。

 

用意しても売れるのは黒豆と栗きんとんばかり。

実際に食材を買ってきて作っても残る。

作った人は悲しい思いをする。

おまけに高い食材買ってきて自分で作るより購入した方が

手作りする労力も含めてコスパがいい。

 

だったらおせちも買おうかとなるのだけど数万円はする。

そりゃ、カニやエビやが踊る高級食材を使ってるから当たり前の話。

ウン万円出すくらいなら旅行でも行こうかってなった。

 

スーパーやお店が三が日閉まっていて何も食べれない昭和の頃と違って元日からお店は開いている。

 

自然とやめれた。

これは家族間だけの問題だからやめれたのだと思う。

 

お正月をやめると罪悪感が残るのはなぜか

 

元日に新幹線に乗ってのんびり車窓を楽しんでたら河川敷で凧揚げしてる人達がいた。

凧揚げはお正月の風物詩。

心が温まるね。いいものだ。

 

ワタシは凧揚げをした記憶がない。

だからお正月に凧揚げしなくても何も思わない。

 

だけども

おせちやお雑煮は毎年食べてきた。

鏡餅も毎年飾ってきた。

初詣も神様に対して行くのが当たり前と育てられた。

 

それは物心ついた時からのお正月の風景。

日本の伝統。

 

親から小さい頃から当たり前のこととして育てられたから。

後世に伝えていかなけれなならないと思ってるから

罪悪感があるのだ。

 

ワタシには必要がないと断捨離できても

これからの子どもには必要なことではないのか!

 

時代は変わっていくものだけど

子どもが大人になった時にお正月を知らないでいいのだろうかと葛藤してしまった。

 

もし、親が毎年お正月に凧揚げするのが当たり前と育ててたら

ワタシは凧揚げしないことに罪悪感をいだくのではないだろうか。

 

ってことは

今後お正月をしなくても子どもはしないのが当たり前で育つから何も感じないのだろう。

今の時代の流れから、子どもが大きくなった時になんでわが家はお正月をしてくれなかったのって責められる日はきっとこないだろう。

 

なのに本当にいいのだろうか。

日本の伝統を伝えなくていいのだろうかと葛藤が今もある。

 

親から当たり前と教育されてきたことの呪縛から解き放される日がこない限り罪悪感は残ることになるんだろうな。

三つ子の魂百までとはよく言ったものだ。

 

ついでにお年玉の風習もなくなったら手放しで喜ぶんだろうけどね。

 

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